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それと、6〜7人と多めの子たちが、同じ発言力で意見を言い合って、グループを動かしていたってのにも関心。ケンカにならないように意見を言い合い、集団を動かしていくっていうのは難しいことなんだけど。

これね、大人になると、さらに難しいみたい。社会人になると、その人には「立場」ができちゃうから。

でもさ、人は、議論しなきゃ終わりだよね。誰にどう思われようとも、言わなくちゃいけないことはある。それを言わなかったら、私は、生きている意味を感じません。

もちろん、言う場面や方法は、ちゃんと考える必要はあるけど。ケンカにならないための言い方、相手を説得するための技術は、同じように大切なこと。

そういったことも、中学3年生ながらに多少は気づいているように思えて、嬉しかった1時間でした。

2008.11.26 _
今日、自習監督で音楽室に行き、合唱コンの練習を見てました。「合唱コンクール」自体をまだ見たことはなく、自分のクラスの歌も聴いたことないまま、3年生の課題曲を聴くことに。

「旅立ちの日に」は有名な曲だし、高3の謝恩会でも歌ってもらったから当然知ってるんだけど、もう一つの曲は、全く初めて聴く曲。

最初は、英語のプリントを作るのに集中できないから、普通の自習がいいなぁとか思ってたんだけど、それがね、、いーんだわ、これが笑。みんな一生懸命だし、選曲も歌声も心地良くって。つい、自分も混ざりたくなりました。

自分が合唱コンをしたことがないから、余計に羨ましいし。練習からあんなに歌えるんだから、本番はどうなっちゃうのかね。鳥肌が足りるか心配です。



関心したのは、ちゃんと「練習の仕方」がわかってるって所。1曲を通して歌って、問題点に気づいた子が率直に意見を言う。「○○パートの声量が少ない」「パート間の音量のバランスが悪い」「○○の音程外れてるよ」、とか。

で、その問題点を解決するために、パート別で歌って、その間、他のパートの子たちはだまって聴く。全部のパートが歌い終わったら、全体で問題意識を共有して、最後にまた1曲を通して歌う。

1時間練習の構成がすごく良くて、関心。部分練習と全体練習を往復して、技術を高めていく手順がかなりGOOD。こういうのって、部分練習ばっかりやっててもダメだし、全体練習ばっかりやってもダメなんだよね。

スポーツだって、勉強だって、同じこと。基礎練習と試合練習のバランスを考え、基礎問題と応用問題もバランスを考える。この「部分と全体の往復」が個人のスキルを高めていくし、それ以上に効率的な方法はありません。

この「往復」っていう手法を知っていて、さらっと実行できる生徒たちに拍手。

2008.11.26 _
現在完了は、他の時制と比べるとわかり易いと思います。日本語は過去も現在完了も区別しないから最初は戸惑うけど、英語の例文で違いを確かめて、一度理解すれば大丈夫。ただ、「現在+過去」ってだけだから。

文法書に書いてある、4用法なんたらってのは、主に使われる4つの状況を取り上げているだけです。経験とか継続っていう"シチュエーション"の時に、現在完了を使うことが多いよっていう話。それは文法ではなくて、言語の「使用場面」だからね。

学校英文法は、文法の本質と、文法の使用場面をごちゃ混ぜにして扱っている点に、問題があると思います。誰か、書籍の編集に関われる人!整理し直してください!!

そう言えば、この間、生徒に「先生は文法やらないから。。」って言われました。「いやいや文法用語を使わないだけで、文法は説明してるし。」とか、ちょっとムキになって言い返したんだけど。

でも、生徒たちにとって、文法用語を当てはめることが文法だとしたら、そういうアプローチも必要なのかなぁと。学校英文法の用語で自分が許容できるものは、もう少し使おうかな、、とか。でも、恥ずかしくて、どうしても言えない文法用語もあるからね。。悩む所です。。

2008.11.17 _
合衆国再生―大いなる希望を抱いてというわけで、オバマのセリフから英文法の説明。

"Change has come to America."

この文は「現在完了」という文法を使っています。現在完了ってのは、過去のことを「今に引き寄せて」表現する形。言いたいのは、過去ではなくて「今の状況」。

これ、has:現在+come:過去(分詞)っていう、実はすごく単純な話で、それを使ってオバマが言いたいのは、Change / come to America(変化がアメリカに来た)という事実が、has(今、手の中にある)ってこと。

これが、"Change comes to America." という現在形だったら、どうでしょう。現在形は「いつでも成り立つ」ことを表します。勝利のスピーチで「昨日も、今日も、明日もアメリカに変化は来る。」っていう一般論を言っても、聴衆の胸は打てません。

現在形では、選挙に勝ったという臨場感や具体性が感じられない文になってしまいます。

これが、"Change came to America." という過去形だったら、どうでしょう。過去形は「現在からの距離感」を表します。選挙に勝った夜に、「いつの日か、アメリカに変化は来た。」っていう過去の事実を述べられても、投票した人たちは盛り上がれません。

過去形では、たった今選挙に勝ったという「今」とは関係のない文になってしまいます。

ちなみに、"Change is coming to America."だったら、「変化がアメリカにやって来ている(進行中・途中)」っていう意味だから、使うとしたら選挙中のキャッチフレーズかな。


2008.11.17 _
オバマがアメリカの大統領になりました。私は民主党の予備選挙でオバマが勝ったときも、大統領までは難しいんじゃないかなって勝手に思ってたんだけど、それがねぇ、、ホントすごいっす。

オバマは白人とのハーフだから完全な黒人ではないけど、非白人であることには変わりないし、むしろハーフが大統領になったっていう方が、融和の象徴としてはいいように感じます。

で、その日の内に、youtubeには映像があり、ブログ上には英文と日本語訳があり、これがネットのライブ感。

     

日本語訳 - Barack Obama's acceptance speech in full : 404 Blog Not Found

んで、この間、今年2回目のカゼで休んで授業が止まっていたにも関わらず、「オバマのスピーチは今見せなきゃ」という使命感を抑えられず、授業でスピーチの映像を流しました。中学生に英語で全ての理解は求めてないけど、オバマの高揚や息遣い、聴衆の眼差しや表情を見てほしくて。

LL教室で映像を流すのは簡単だったけど、普通教室はちょっと大変でした。「プロジェクター・スクリーン・パソコン・スピーカー」を持ち込むのは、気軽にはできないな。でも映像を流せて良かった。

アメリカに、有色人種の大統領が立ちました。アメリカ国民の中には、「何かが変わるんじゃないか」っていう期待が大きいと思います。だから、その反動が大きくならなければいいな、と思います。大きな期待は簡単に、大きな失望に変わるから。

もちろん、オバマを批判できないっていう空気になったり、神のように崇拝する信者が増えてもダメです。不当な中傷ではなく、正当な批判。何かに偏らないで、中立であろうとする姿勢。これが大事なことだと思います。

2008.11.17 _
こういう「祭り」も、毎日やってたら退屈だし、つまらないものになるのは簡単に想像がつきます。祭りって、それ自体を楽しみ、そして、その後に続く日常の価値を取り戻すためのもの。

柳田國男の言うところの「ハレとケ」っていう見方ですね。毎日「ケ」だったら変わらないことに耐えられず、毎日「ハレ」だったら疲れるだけの日々。私たち人類にとって、価値のコントロールは永遠のテーマなのかもしれません。

ところで、今年も高等部のステージイベントを見たけど、私の中の文化祭のイメージに一番近いのはアレかな。ダンス・歌・バンドって、普段の学校生活では評価されることが少ないから、ああいう「ハレの舞台」で、みんなの歓声を浴びて輝いてる姿は、やっぱり、いいよなぁと思います。

私が高校生の頃はいつも斜めに構えて、そういうイベントを横目で見ていたから、あの「思いっきり」は羨ましいし見習いたい点です。ステージ裏でがんばっていた生徒会も、もちろん称えられるべき存在。



今、教員になっての一番の仕事は、今回の反省点を来年の主催者に「引き継ぐ」ということかな。世の中のあらゆる仕事って、この「引き継ぎまで」が仕事なんだと思います。

よく、自分の仕事が終わってしまうと、次の人のことを考えないでしまうんだけど、そこでもう少しだけ力を注ぐ。反省点を記録し、次の世代に引き継ぐ。ここまでできると、社会全体がうまく回るんだろうな。

・振動でCDが音飛びするから、放送機材をステージにくっつけない
・出演者は予定の曲目と時間を守る (守らせる仕組みを考える)

来年、反省事項が引き継がれていれば「みんなの勝ち」。引き継がれていなければ「みんなの負け」です。

P.S.
今回、たくさん卒業生と会えて良かったです。私は高等部にはいなかったし、片付けの仕事中とかで、ほとんど話せなくてすいません。でも、話は少なかったけど、顔を見れて安心しました。お互い、まだ生きてる。ありがたいことです。

2008.11.04 _
「失って初めて、そのありがたみがわかる」のは、健康だけではありません。そもそも「モノの価値」は、「何かと比べて」決まるのが、その基本的な原理です。

小学校の頃、男子の間では『ビックリマンシール』ってのが流行していました。今の小学生の中ではやっている「ポケモン」とか「遊戯王」と違って、何のゲーム性もない「ただのシール」を、集めてコレクションするだけでのものです。なぜか、みんな必死になって集めていたという。

シールはチョコ菓子のオマケなんだけど、そのウエハースチョコもおいしくてさ。昔30円だったチョコは、今は80円ですが(高い!)、その味が懐かしくて、今でもたまに買ったりします。

小学生の頃は、ビックリマンチョコを「大人買い(箱買い)」して、中のシールを取り出し、チョコを友達に分けてくれるスネ夫みたいな子もいました。その子の家に遊びに行ったら、せんべいを入れる器の中に、ビックリマンチョコが大量に入って出てきたからね。そりゃナイぜ。。



そうそう、メインはシールの話。小学生の私は、シールの中でも貴重な「ヘッド」と言われる「キラキラシール」(遊戯王のレアカードみたいなの)を、みんなと同じように欲しくて欲しくて。友達との話の中でつい口から出たのは、ため息まじりのこのセリフ「、、これ、全部キラキラだったらいいのに。。」

それに対して、友達のN澤君は「全部キラキラだったら、ありがたみがないじゃん。」とキッパリ。すごくドキッとすることを言われ、心の中が真っ赤になった気がしたのを覚えています。

小学3,4年生で「価値のメカニズム」に気づいて、友達に語れるってのがスゴイ。田舎の小学校の時の友達だから、今はどこで何をしているのか全くわからないけど、その時は、格の違いを見せつけられた気がしました。

だからさ、「たまの贅沢」が価値ある贅沢だし、「たまの休日」が価値ある休日なんだよね。まぁ今の所、価値を感じない休みなんてないけど。

2008.11.02 _