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私が普段使うことが多い、デフォルトのブラウザはSleipnir。Firefoxも使うんだけど、細かい挙動が好みで、IE用のサイトに合わせて、今のところSleipnirが多いかな。で、それが今回の問題の発端。

今回、ブログのスタイルシートをいじったから、念のため他のブラウザ(Firefox, Chrome)でも表示を確かめたら、レイアウトが崩れてることを発見。「左のmargin(余白)効いてねえ!」ことに少しあせりましたが、ググッたら解決しました。

float(寄せ)の配下に、marginを指定すれば、おK。

floatの上に指定していたから、marginが反映されてなかったのでした。今回は簡単に解決して良かったけど、ブラウザが違うと表示が違う場合があるから、ウェブデザインって大変だよなぁ↓

あっちの世界の大変さを0.5mmくらい、わかった気がします。

2009.03.30 _
"最近の記事"を変更して、"背景画像"とリンクに"全記事一覧"を追加しました。ページ幅やリンク色を変えてみて、HTMLとスタイルシートにまた少し慣れました。興味がある分野の勉強って楽しいよなぁ。理解がクリアになっていくのは嬉しいし。ほんと、すべての始まりは人の興味(志向)だってのがよくわかります。

ところで、昨日まで嫁が部活の合宿で、一人で過ごしていました。一人になると決まって始まるのが、ジャンクフードLIFE。

結婚して2人暮らしを始めてから、料理も作ってくれるし外食も普通の所だから、それなりにまともな食生活なんだけど、一人になると、今まで食べてきたジャンクフードを食べたくなるのです。で、マックポテト、吉野家牛丼、日清カップヌードルが胃の中に。

日清カップヌードルは、あの"謎の肉"がなくなるらしいから、食べ収め。確かにアレはおいしくなかった。。:カップヌードルの具材強化〜ミンチ肉が角切りチャーシューに

マックのポテトはたまに食べるとホントおいしいね。でも私の場合、あれにおいしさを感じることに罪悪感を感じて、理性が歯止めをかけてくれるようです。だから、たまに。



吉野家の牛丼は、最近、「頭(あたま)多め」って言葉を覚えたから、使ってみたくて。「頭多め」ってのは、「肉だけ大盛り」っていう注文の仕方。値段は大盛りと変わらないんだけどね。「米はいらん肉をよこせ」っていう時に使うコマンド。

でも、新人店員にはまだ浸透していないらしく、奥のベテラン店員に質問していました。「頭ってのは、どんぶりの上に乗るもの。だから、頭が多めってのは肉が多めってこと。」とは、ベテラン店員。

知らないと悪いから、気を利かせて「肉を多めで」とか注文すると、それはそれで「値段は変わらないけどいいですか?」とか余分な質問されるから面倒でさ。

専門用語って、店員が「この客は頭多めという専門用語を知っている=値段は大盛りと変わらないことを知っている」と判断できるから、いいんだろうね。

ツユダクとか頭多めっていう専門用語によって、「要求と内容にブレがない注文」かできるようになる。

吉野家で、専門用語の持つ力を考えさせられました。

2009.03.29 _
年度末、救命法講習会の感想をクラスで集めました。席替えをしているから、出席番号はてんでバラバラ。それがどういう問題かというと、その席のまま集めたプリントは「出席番号順ではない」ということ。

そして、提出した人を「名票で探しながらチェックする」とか、「番号順で並べ替えて提出」っていう作業が増えるわけです。単純作業がイヤじゃないならいいけど、私が一番キライなのが単純作業で、提出物のチェックも、テストの採点もすっっごい苦痛。

それで、少しでもその苦痛を減らすために、席がバラバラでも番号順に集める方法を探していたのでした。…キラーンっ☆とうとう私、見つけました。成功しました!それスピーディで正確でした!!というわけで、コレ。

1.1〜10番、11〜20番、とグループに分ける。
2.各グループの先頭から順に、教卓に持ってくる。
 (この時、プリントは「裏返し」で、黒板側が「上」) 

で、その3〜4ブロックのまとまりを重ねたら終わり。いや、ホントに一瞬。普通なら教室に帰ってから、机上で並べ替えたりして、それで5分程度(と単純作業をやる精神力)が奪われるんだけど、それがね、ゼロ。

あまりに感動して生徒に言ったんだけど、それほど共感してもらえず。「番号順に提出するくらいあったし。」みたいな。「いや、一人ずつ机に出していくと時間がかかるから、それを進化させたやつなんだよね。」とかなんとか私はボソボソ。

で、返却する時は、この逆をやる。プリントを表にして、グループの最初の人(1,11,21番〜)から順番に取りに来てもらう。That's all。

「10番ごとという区切りのいい数」、「自分の前の生徒は覚えている」っていう2点をクリアしているから、うまくいったのかなと思います。

2009.03.22 _
卒業パーティも、なんとか終わりました。放送機材の準備で、卒業生と名残惜しむこともできず、残念だったし申し訳ない。まさかスライドショー流すくらいで、あんなに手間取るとは思わなかった。主に音響面で手間取ったんだけど、スピーカーのライン入力の端子がつぶれてたり、そもそも無かったり、想定外のことが多すぎて。

最終的にマイクで音を拾ってもらって助かりました。その選択肢も自分で思いつかなければならなかったと反省。写真を使わせてもらった先生方、完璧においしくするつもりだったのに申し訳ありません(/_;)

スライドのBGMへの突っ込みがあって良かった。プリキュアの曲とか使ってスルーされたら悲しいから(笑)Lil'Bとか流行りの曲も使ったんだけど、あれはどうだろ、ちょっと世代が合ってなかったかな。

あとは、頼まれた寄せ書きを最後まで書き続けて、会は終了。自分のことだけやってて、会の様子や全体像はまったくわかってません。ははは。。

ちなみに、寄せ書きに書いた『どんな靴を履いても 歩けば僕の足跡』ってのは、the pillowsってバンドのOne Lifeっていう曲の歌詞。このバンド、とんがっているのに哀愁あるから好き。

     

それと、会でも言ったけど、前日にシートをひく手伝いをしてくれた3年生7人、本当にありがとう。君たちがいなかったら、会は開けませんでした。スライドの時にカーテンを閉めてくれた子たちもありがとう。あの場面で動ける子たちも、「損得じゃなく動ける力」を持っている子だなって思います。周りの目もあるし、難しいことなんだけどね。

2009.03.22 _
、、年度末、まったく余裕がなくこのページを開くことさえできず。それが想像以上でさぁ↓なんでこんなに余裕なかったんだろ。とりあえず「発信ログ」をもう1個。今年度最後の学級通信(編集版)。

昨日、3年生だけで卒業式の予行練習をしました。入場行進の時の目線の向け方、手の振り方、角の曲がり方。歩くスピード、前の人との間隔、イスの座り方。1回目でできなかった人も、2回目にはほとんど直っていました。そんな入場行進を見ていて、ふと不思議に思うことがありました。「なんで、あの子は片方の手だけを振っているんだろう?」

その理由は、○○先生の注意でわかりました。「いつもカバンを持っている手を、そのまま振らないでいる生徒がいる。気をつけなさい。」毎朝の習慣が体に染み付いていて手を振れていない、というわけです。なるほど。これは、言われなければわかりません。さすが体育の先生。

一人一人の名前を呼んで、返事をする練習もしました。これに関しては、練習が必要なのは教員も同じこと。今回は、朝の学活で練習をしたおかげで、読み間違えることはありませんでした。人生で指折り数えるしかない、自分をかけた最大級の「コール&レスポンス」。感慨深いのは、教員と生徒だけではなく、今まで君たちを見守ってきてくれた保護者でもあります。大きく、凛とした声で返事をしてほしいと思います。

そして、国歌、校歌、『旅たちの日に』『ふるさと』の合唱の練習もしました。一通り終わって座りだす生徒もいる中、○○先生が「歌いたりないでしょ。」と言って、予定にない『道』を弾き始めました。、、誰も、、誰一人として、ためらう人はいないようでした。卒業式で歌うわけでもないのに、突然の誘いかけに躊躇せずスッと歌い出す3年生たち。ホールの後ろで聞いていた私は、思わず立ち上がってしまいました。私は生徒がここまで素直に歌う姿を見たことがなく、心の中でつぶやいていました。「人って、やっぱり歌いたいんだよ。」

その後、○○先生がリクエストした『春に』を歌いました。突然のことで楽譜もない中、みんなの声援に後押しされた○○さんがピアノを弾き始め、みんなも歌詞を思い出しながら歌い出しました。私は、少しでもいい場所で聞きたくてステージ上のイスに座ったのですが、、それがダメでした。1年ぶりというには、あまりに美しいハーモニー。メッセージ性の高い詩と豊なメロディが心に響き、涙を止められませんでした。この合唱に影響を与えてはいけないと思って、すぐにステージの袖に隠れましたが、それでも耐えることはできず。

途中、伴奏が途切れたのですが、伴奏が戻ってくることを信じて歌い続けるみんなに、3年間一緒に過ごした友達同士の「絆」を感じました。「あの子なら戻ってくる」、と。それは、ドラマよりも圧倒的にドラマチックな瞬間でした。

私は今、私が見てきた高校生が、なぜ歌わなかったのかを考えています。そして、高校生の時に、私はなぜ歌わなかったのかを考えています。私は、歌わなくなった高校生でした。みんなで合唱することにそれほどの意味を感じず、自分の歌声が目立って周りに聞こえてしまうことを恐れ、心から歌う人ではなくなっていました。私が見てきたように、みんなもそうなってしまうのでしょうか。こんなにも貴重で、価値ある体験を生み出す意志と力を、無くしてしまうのでしょうか。

もしそうだとしたら、とても残念でなりません。ああやってみんなで歌えること以上に、世の中に価値があることは多くないのです。もしこの先、この体験を忘れたとしても、何かを純粋に楽しむ気持ちは忘れないでほしいと思います。中学生のあなたは、確実にその力を持っていたのですから。


卒業式も恥ずかしいくらい涙が出てしまって。。卒業生代表の答辞も良かったし、あと真剣に歌っているみんなの表情とか、もう耐えられませんでした。そんなこんなで、「ああいう緊張感のある式っていいな」、と、合理主義者であるはずの私は思ったのでした。

2009.03.21 _
ドロー、トラップカード!ブログの「自己発信ログ」機能発動!!プレイヤーにダイレクトアタック!!!

、、ということで、ある文集に載せた原稿を投稿します。卒業生へ向けての言葉です。ちなみに、ログ:log:記録。

今年の卒業文集のクラスページに私が書いた言葉は、「和して属さず」でした。もちろん、孔子の「和して同ぜず」から引用した表現です。

2500年前に論語に書かれた「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」には、「優れた人は、他人と調和し争いを避けようとするが、他人にむやみに同調することはない。しかし、つまらない人は、自分の考えを持たず右往左往するだけで、全体の調和を考えることはない。」という意味があります。

もちろん、みんなには「和して同ぜず」を貫く人になってほしいと思っています。さらに、「和して属さず」としたのは、「人間にとって、社会の中での自分の居場所は一つとは限らない」ということを伝えたかったから。

個人が「属さず」、しかし集団と「和する」ことで、私たちは個人と集団のどちらをも尊重した社会を作れると信じているからです。

中学卒業おめでとう。そして、高校3年間を通して、さらに成長した君たちに会えることを期待しています。


2009.03.08 _