この学校で先生になって3ヶ月。「先に生まれた」と言うからには何かを知っていなくてはならず、「教える師」と言うからには何かを教える存在なのだろう。私は、何を教えることができるのだろうか。
高校の時の思い出がある。ある先生の話だ。その先生は、バレーボールで鍛えた頑強な身体と、鬼とにらみ合っても勝負できる面容を持ち、上の階にまで聞こえてくるその怒声は、学校中に恐れられていた。
高校2年生、私は幸運にも、そのスパルタ数学教師の授業を受けることになった。問題に答えられなかったら檄が飛び、予習をしてこなかったら活が飛び、かけていたメガネは床にふき飛んだ。
その先生は「生徒のため」と言っていたが、私には理解できなかった。その意に沿って行動することは屈服に思えたし、学校に親を呼び出されたこともあった。
「ムチがあるから従順なのでは、それは人間ではない。」「やれと言われるから、勉強しているんじゃない。」そう思っていたが、私は面と向かって言うことができなかった。そこで意地をはるメリットを感じなかったのかもしれないし、ただ度胸がなかったのかもしれない。いずれにせよ、何も言えないまま卒業することになり、話を聞いてほしい、という思いは叶えられることがなかった。
時は過ぎ、私は先生になった。私が何を教えることができるかは、まだわからない。しかし、少なくとも、みんなの話を聞くことはできると思う。もちろん、私も言う。その時はみんなにも聞いてほしい。人と人が出会い、言葉を通し、体験を通して、お互いの存在を認め合う。そういった対話をすることで、人間は成長できると思うからだ。
出会い、対話し、お互いに成長していこう。私はそういう生き方に魅力を感じるし、そこに私が関われるとしたら、それほど嬉しいことはない。
懐かしいと思うし、原点かなとも思います。初心は忘れないようにしたいですね。
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