「失って初めて、そのありがたみがわかる」のは、健康だけではありません。そもそも「モノの価値」は、「何かと比べて」決まるのが、その基本的な原理です。小学校の頃、男子の間では『ビックリマンシール』ってのが流行していました。今の小学生の中ではやっている「ポケモン」とか「遊戯王」と違って、何のゲーム性もない「ただのシール」を、集めてコレクションするだけでのものです。なぜか、みんな必死になって集めていたという。
シールはチョコ菓子のオマケなんだけど、そのウエハースチョコもおいしくてさ。昔30円だったチョコは、今は80円ですが(高い!)、その味が懐かしくて、今でもたまに買ったりします。
小学生の頃は、ビックリマンチョコを「大人買い(箱買い)」して、中のシールを取り出し、チョコを友達に分けてくれるスネ夫みたいな子もいました。その子の家に遊びに行ったら、せんべいを入れる器の中に、ビックリマンチョコが大量に入って出てきたからね。そりゃナイぜ。。
そうそう、メインはシールの話。小学生の私は、シールの中でも貴重な「ヘッド」と言われる「キラキラシール」(遊戯王のレアカードみたいなの)を、みんなと同じように欲しくて欲しくて。友達との話の中でつい口から出たのは、ため息まじりのこのセリフ「、、これ、全部キラキラだったらいいのに。。」
それに対して、友達のN澤君は「全部キラキラだったら、ありがたみがないじゃん。」とキッパリ。すごくドキッとすることを言われ、心の中が真っ赤になった気がしたのを覚えています。
小学3,4年生で「価値のメカニズム」に気づいて、友達に語れるってのがスゴイ。田舎の小学校の時の友達だから、今はどこで何をしているのか全くわからないけど、その時は、格の違いを見せつけられた気がしました。
だからさ、「たまの贅沢」が価値ある贅沢だし、「たまの休日」が価値ある休日なんだよね。まぁ今の所、価値を感じない休みなんてないけど。
2008.11.02 _




































