風の谷のナウシカを初めて見たのはテレビだった。生物が死に絶えた灰色の街で始まるオープニングから、オームの大群に身を投じるエンディングまで、私は目を離せなかった。可憐な少女が空を舞い、巨大なオームを手なずける。蟲にも軍隊にもひるむことなく、ただひたすらに自分の道を行く。強さと優しさを持ち合わせたナウシカは、私の理想のヒロインだった。
小学生の時、寄せ書きで求められた好きな女性のタイプに、ナウシカと書いた。高校生の時、教室に入ってきた羽虫を手で取り、何を気にすることもなく窓から逃がした子に恋をした。
宮崎駿は、ナウシカに堤中納言物語の虫愛ずる姫君を重ねて見ていたという。そんな、何かに束縛されることなく感性のままに自分を動かせる人に、私は心惹かれる。
さて、今回は漫画のナウシカの話である。アニメのナウシカは、ナウシカという物語の一部分でしかない。腐海(毒の森)は、大地の有毒物質を結晶化して、無害なものに変える。そして、その腐海を守るために存在するオームと蟲たち。アニメで描かれているのはここまでだ。しかし、話には続きがある。旅の途中、ナウシカは、人間の体が腐海の毒に合わせて作り変えられ、その体では浄化された後の世界では生きられないことを知る。そして、腐海の浄化システムは自然に生まれたものではなく、旧世界の人間が作り出したものであることに気づき始める。
ナウシカは、隠された事実を確かめるために、墓所の奥深く、不死の生命「墓所の主」と対峙する。ナウシカ:「なぜ真実を語らない。汚染した大地と生物を全て取りかえる計画なのだと!」
墓所の主:「清浄な世界が回復した時、汚染に適応した人間を元に戻す技術もここに記されてある。交代はゆるやかに行われるはずだ。永い浄化の時は過ぎ去り、人類はおだやかな種族として新たな世界の一部となるだろう。」
ナウシカ:「絶望の時代に理想と使命感からお前がつくられたことは疑わない。その人達はなぜ気づかなかったのだろう。清浄と汚濁こそ生命だということに。」
墓所の主:「人類は私なしには亡びる。お前達はその朝をこえることはできない。お前は危険な闇だ。生命は光だ。」
ナウシカ:「ちがう!いのちは闇の中のまたたく光だ!」
ナウシカは、墓所の主の言い分に惑わされることはなかった。自らが名を与えた巨神兵オーマを呼び、墓所を破壊する。
その時、ナウシカは、清浄な世界に戻った時の人間の卵を見つける。凶暴性がなく、おだやかで賢い人間になるはずの卵である。ナウシカが予感した通り、人間を含めた今の生態系は、完全に滅ぼされる予定だった。
すべてを無に帰し、墓所の血を浴びたナウシカの服は、オームの血よりも青かった。「オームの体液と墓のそれが同じだった」ことは自分の胸の内にしまい、星にすべてを託して生きることを心に決め、物語は幕を閉じる。
読み終えた後、私はこの物語を消化できないでいた。確信のない不安な思いは、しばらく消えることはなかった。これで良かったのだろうかという疑念が私を覆い、気持ちは晴れなかった。当時、私は墓所の主を完全に否定することができなかった。すべてを破壊すると決めたナウシカは、感情的になっているだけなのではないか、とも思った。
墓所の主が言うことには理屈があると思ったし、科学なしに人類を救えるとも思えなかった。巨神兵が人間の卵をつぶした時、今でも覚えているが、私はもったいないと感じてしまった。
世界を憂う思いは、時に、人を極端へと走らせる。私も、世界を変える起死回生の何かを期待していたのかもしれない。
ナウシカは、私が当然と信じて疑わなかった理性と科学を否定した。墓所の主の正義を否定し、そして、悪を引き受けた。私には、その覚悟がなかったのだろう。
風の谷のナウシカは、単なる自然賛美の物語ではない。物語に流れているのは、理性と科学、そして聞こえのいい正義の否定だ。
言うまでもなく、この世で最も恐ろしいものは人間の正義である。それは人間の正義と悪のどちらが多く人を殺してきたかを考えれば、すぐにわかる。そして、理性と科学がこの世の正義になる時、世界には抗うことができない絶望が現れる。
風の谷のナウシカは、それでも闇を背負うことを決め、絶望に屈しなかった少女の物語である。
ところで、ナウシカには、私が特別に好きなシーンがある。ナウシカが、キツネリスのテトと初めて出会ったシーンだ。
警戒して興奮しているテトに、「怯えていただけなんだよね」と、ナウシカは自分の手を差し出す。テトに指をかまれても、動じることなくそのままにする。やがて、テトはナウシカが敵ではないことを知り、かむのをやめて傷口を癒す。
私は昔から、この場面に憧れを感じている。相手のかみつきを受け入れて、耐える。人の強さは、どれだけ相手を許し、認められるかで決まるものだろう。ナウシカは多くの生命を許し、肯定することができる。
私たち人間は、誰かに認められることで初めて自立できる。他人にかみつき、他人を傷つけて、それでも自分の存在を認めてくれる人がいるという安心感が、人を成長させる。私たちとテトは、本質的に何も変わらない。
人の正義を否定すること。人の弱さを肯定すること。彼方憧れの人ナウシカが進んだ道は、簡単に歩めるものでも、出口が見えるものでもなかった。しかし、ナウシカが進んだ「道そのもの」は、今、私に見えるようになった。それは、葛藤を抱えながら私が進む道でもある。
2009.02.08 _




































