昨日、3年生だけで卒業式の予行練習をしました。入場行進の時の目線の向け方、手の振り方、角の曲がり方。歩くスピード、前の人との間隔、イスの座り方。1回目でできなかった人も、2回目にはほとんど直っていました。そんな入場行進を見ていて、ふと不思議に思うことがありました。「なんで、あの子は片方の手だけを振っているんだろう?」
その理由は、○○先生の注意でわかりました。「いつもカバンを持っている手を、そのまま振らないでいる生徒がいる。気をつけなさい。」毎朝の習慣が体に染み付いていて手を振れていない、というわけです。なるほど。これは、言われなければわかりません。さすが体育の先生。
一人一人の名前を呼んで、返事をする練習もしました。これに関しては、練習が必要なのは教員も同じこと。今回は、朝の学活で練習をしたおかげで、読み間違えることはありませんでした。人生で指折り数えるしかない、自分をかけた最大級の「コール&レスポンス」。感慨深いのは、教員と生徒だけではなく、今まで君たちを見守ってきてくれた保護者でもあります。大きく、凛とした声で返事をしてほしいと思います。
そして、国歌、校歌、『旅たちの日に』『ふるさと』の合唱の練習もしました。一通り終わって座りだす生徒もいる中、○○先生が「歌いたりないでしょ。」と言って、予定にない『道』を弾き始めました。、、誰も、、誰一人として、ためらう人はいないようでした。卒業式で歌うわけでもないのに、突然の誘いかけに躊躇せずスッと歌い出す3年生たち。ホールの後ろで聞いていた私は、思わず立ち上がってしまいました。私は生徒がここまで素直に歌う姿を見たことがなく、心の中でつぶやいていました。「人って、やっぱり歌いたいんだよ。」
その後、○○先生がリクエストした『春に』を歌いました。突然のことで楽譜もない中、みんなの声援に後押しされた○○さんがピアノを弾き始め、みんなも歌詞を思い出しながら歌い出しました。私は、少しでもいい場所で聞きたくてステージ上のイスに座ったのですが、、それがダメでした。1年ぶりというには、あまりに美しいハーモニー。メッセージ性の高い詩と豊なメロディが心に響き、涙を止められませんでした。この合唱に影響を与えてはいけないと思って、すぐにステージの袖に隠れましたが、それでも耐えることはできず。
途中、伴奏が途切れたのですが、伴奏が戻ってくることを信じて歌い続けるみんなに、3年間一緒に過ごした友達同士の「絆」を感じました。「あの子なら戻ってくる」、と。それは、ドラマよりも圧倒的にドラマチックな瞬間でした。
私は今、私が見てきた高校生が、なぜ歌わなかったのかを考えています。そして、高校生の時に、私はなぜ歌わなかったのかを考えています。私は、歌わなくなった高校生でした。みんなで合唱することにそれほどの意味を感じず、自分の歌声が目立って周りに聞こえてしまうことを恐れ、心から歌う人ではなくなっていました。私が見てきたように、みんなもそうなってしまうのでしょうか。こんなにも貴重で、価値ある体験を生み出す意志と力を、無くしてしまうのでしょうか。
もしそうだとしたら、とても残念でなりません。ああやってみんなで歌えること以上に、世の中に価値があることは多くないのです。もしこの先、この体験を忘れたとしても、何かを純粋に楽しむ気持ちは忘れないでほしいと思います。中学生のあなたは、確実にその力を持っていたのですから。
卒業式も恥ずかしいくらい涙が出てしまって。。卒業生代表の答辞も良かったし、あと真剣に歌っているみんなの表情とか、もう耐えられませんでした。そんなこんなで、「ああいう緊張感のある式っていいな」、と、合理主義者であるはずの私は思ったのでした。




































