鳩山さんの就任会見で、ネットメディアなどが締め出された件で、ダンさんイイこと言ってました。ダンさんのブログは時々こういう珠玉のエントリーがあるからなぁ↑以下、引用・編集して紹介。
これと同じ話なんだけど、就任会見で鳩山さんが「試行錯誤の中で失敗することもあろうかと思うが、国民には寛容であってほしい」と言ったことに対する批判が多かった。「最初から失敗するかも、なんて何事か!国政を預かる立場にある人が言うべきことではない」という批判だ。
ナンセンス。
そんなことが言えるのは、世の中には正しい答えがあり、それを間違いなく実行できると純粋無垢(ナイーブ)に信じている人だけだ。やってみなきゃ、成功するかどうかなんてわからない。
早く失敗して、早く修正する。
すぐにでも、これが私たちの新しい常識にならなくてはならない。
誰もブログに書く必要がないくらいに。
(太字・省略は引用者による)
クローズドな環境でものをいうのが、努力。そこに内輪しかいなければ、たとえうまく行かなくとも、努力していれば「仕方がない」と許してもらえる。オープンにするというのは、思い通りに行かないことを受け入れること。
成功して当たり前の時代から、失敗して当たり前の時代へ。
そういう時代にうまくやっていくには、「以下に速く失敗し、以下に早く反省するか」しかない。なぜオープンなのか。その方が速く失敗し、早く反省できるからだ。「うまいやり方」がはじめから分かっているのであれば、クローズにして「ノイズ」を減らした方がいいに決まっているではないか。
有権者が「失敗許すまじ」一辺倒だとしたら、政府の態度もまた元の木阿弥だろう。
なぜオープンに抵抗があるかといえば、「とちり」が怖いから。なぜオープンにするべきかといえば、「とちり」恐怖症を克服するべきだから。私が「あの」公約反故を他の公約反故より気にするのは、結局「とちり」を許さない国民に、「とちらない」ことで答えようとする政府が変わらないと感じたから。
お互い、「とちる」ことにもっと慣れる必要があるのだ。
政治家に限らず、自ら語り、自ら正すことが当たり前となる時代に、「正しい答え」テンプレートにそった言葉しかもたぬ者は不要を通り越して有害である。政府の間違いが政府にしか直せないのであれば、民主主義は不要を通り越して無駄である。
なぜオープンなのか?
速やかに間違い、速やかに直すためだ。
それだけのことである。:Why Open?
これと同じ話なんだけど、就任会見で鳩山さんが「試行錯誤の中で失敗することもあろうかと思うが、国民には寛容であってほしい」と言ったことに対する批判が多かった。「最初から失敗するかも、なんて何事か!国政を預かる立場にある人が言うべきことではない」という批判だ。
ナンセンス。
そんなことが言えるのは、世の中には正しい答えがあり、それを間違いなく実行できると純粋無垢(ナイーブ)に信じている人だけだ。やってみなきゃ、成功するかどうかなんてわからない。
早く失敗して、早く修正する。
すぐにでも、これが私たちの新しい常識にならなくてはならない。
誰もブログに書く必要がないくらいに。
2009.09.19 _




































